恵まれているのに満たされない。贅沢だと自分を責めなくていい理由

ふとした虚しさの正体

土曜の午後、用事がひと通り終わって、ふっと手が空いたとき。
SNSを閉じたあとに、なんだか胸のあたりが空っぽになる。

家族もいるし、仕事もある。
「恵まれてるね」「悩みなさそうでいいね」って言われることもある。

なのに、満たされない。

贅沢な悩みだって、自分でも分かってるんですよね。
だから誰にも言えないし、「私なんて恵まれてる方なんだから」と、自分で自分をなだめちゃう。

もし、そんなふうに自分を責めているなら。
私はまず、こう聞きたいんです。
「なんで責めるの?」って。

恵まれているのに、なぜ満たされないのか。
私自身の話もまじえながら、一緒に見ていきましょう。

恵まれているのに満たされないのは、贅沢なの?

贅沢ではないし、責めることでもないんですよ。
物質的に恵まれていることと、心が満たされていることは、全く別の話だから。

家がある。
家族がそろっている。
欲しいものも、それなりに手に入る。

これって、外から見える「物」や「環境」の話じゃないですか。

満たされているかどうかは、「心」の話。

だから、物がそろっているのに心が満たされないのは、おかしなことでも、わがままでもないんです。
何不自由ないのに満たされないと感じるのは、多分、まだ見えていない何かがあるんです。

じゃあ、なぜ満たされないのか。
理由は2つあると、私は考えています。

物や環境で満たされていると、心が満たされている部分が見えにくくなる

1つ目の理由は、物の方に目が行きすぎていること。
物や環境で満たされている状況にいると、そこにある「心が満たされている部分」が、見えなくなっちゃうんです。
そして、「満たされていない」ってことにしちゃう。

これは、あなたの見方が悪いわけじゃないんです。
近すぎて、見えにくいだけ。

海の中に住んでいる魚を想像してみてください。

明るい海の中で、水面を見上げる小さな魚

その魚は「海が見たい、海を見てみたいんだ」って言っている。
でも、海の中にどっぷり浸かっている間は、自分が海にいるって気づかないんですよね。

海から出て、外から見て、初めて「あ、自分って海の中にいたんだ。これが海なんだ」って気づく。

満たされない私たちも、この魚と似ているのかもしれません。
物や環境で満たされている中にどっぷり浸かっていると、その中にある、心が満たされている部分に気づけなくなる。

満たされるって、要は「もうある」に気づくことなのかもな~と、私は感じています。

ただ、「ある」に気づけたとしても、それだけでは満たされない、という方もいますよね。

そこに、2つ目の理由があるんです。

「ある」に気づいても満たされないのは、満たしたい欲求が人によって違うから

そもそも、心が満たされないって、どういうことなのか。
要するに、自分の欲求が満たされていない、ということなんです。

だから2つ目の理由は、満たしたい欲求が、人によって違うこと。

選択理論という心理学では、人は誰でも、5つの基本的な欲求を持っていると言われているんです。
生存、愛・所属、力、自由、楽しみ、の5つ。

この5つの強さと満たし方は、人によって違うんですって。
(参考:選択理論.jp)

私は、これを「器」にたとえて話しています。
人の中には、満たしたい欲求ごとに器がいくつかあって、どの器を満たしたいかが、人によって違う。

だから、ある器がいっぱいでも、自分が満たしたい器が空いていたら、満たされない感じが残ることがあるんです。

器の大きさも、人によって違う

さっきの、5つの欲求それぞれの強さの違い。
これを私は、器の大きさで考えています。

つまり、同じものを受け取っても、満たされる人と満たされない人がいるってこと。

たとえば、愛が欲しいと思っている人が2人いたとします。

Aさんの愛の器は、おちょこくらいの大きさ。
Bさんの愛の器は、大釜くらいの大きさ。

同じ量の愛が入ったとしても、Aさんは「満たされた」と感じて、Bさんは「まだ足りない」と感じる。

器の大きさは、人によって違う。同じ量の愛でも、おちょこの器のAさんは「満たされた」、大釜の器のBさんは「まだ足りない」。満たされないと感じるのは、悪いことではない。

そりゃ、そうですよね。器の大きさが違うんですから。
だから、満たされないと感じるのは、悪いことではないんです。

いくら他人から見て恵まれているように見えたとしても、あなたの器が満たされているかどうかは、また全く別の問題なんです。

「恵まれてるね」は、外から見える物の話。
あなたの器の中までは、見えていないんです。
同じ欲求を持っていたとしても、器のサイズは人によって違う。

人の器の大きさで、自分の器を測らなくていいんです。
「恵まれてるのに満たされないなんて」と、責めなくていい。
あなたは、あなただから。

私も、恵まれていたのに満たされなかった

私自身も、恵まれていたのに満たされない時期がありました。

小学校の頃は、何不自由なく育ててもらったと思います。
家もあって、両親は元気に働いていて、姉もいて。
「これ買って」と言えば、そこそこ買ってもらえる環境でした。

でも、その頃から、平々凡々な毎日が退屈で嫌だなぁって感じることもありました。
また、欲しいものがあっても、親の価値観でそれは買わないと言われて、拗ねたこともありました。
不満や不足を感じていたんです。

今思うと、当時の私は、その環境の中で不足ばかり見ていたように思います。

「私が欲しいのはこれじゃない。もっと違うんだ」
「なんで私を分かろうとしないの? なんで私を満たしてくれないの?」

そんな不満を持った子ども時代で、親なんだから私を満たすのは当たり前だし、義務なんだと、どこかで思っていたような気がします。

今思うと、多分どこかで愛情の不足を感じていたんだろうなって。
だから、結婚したら幸せになれるって、ずっと信じていました。
白馬の王子様がいるような感じ。

でも、結婚しても、離婚しました。
再婚もしたけれど、やっぱりそこにも不足や不満は生まれたんです。

そこで、ようやっと分かりました。

これは、誰かに埋めてもらうものじゃないんだなって。

満たされない気持ちが来たら、体の感覚に耳をすませる

頭で「満たされていることに気づかなきゃ」とやると、どうしても無理やり感が出ちゃうんです。
「そうでなければならない」みたいな感じになって。

だから今の私は、満たされない気持ちが来たら、自分の体の感覚に耳をすませるようにしています。

とはいえ、耳をすませたからって、すぐに分かる人って、そうそういないと思うんです。
だから私は、すぐに答えを見つけようとはしません。

そこにあるものを、ただただ実況中継してあげる感じ。
考えを広げて探すとか、掘り下げて探すとかじゃなくて、本当に実況中継なんです。

  1. 「なんか私、イライラしてるな」「今、満たされてないな」と感じたら、そこで止まる
  2. 「どこにモヤモヤを抱えてるかな」「ここらへんかな」と、体の感覚に耳をすませる
  3. 「胸のあたりが締め付けられてる感じがするなぁ」「ここにぽっかり穴が開いてるような感じがするなぁ」「風が通ってる感じがするなぁ」と、感じたままを実況中継する
  4. 「これかな?」と思うものが出てきたら、それに対して今何ができるかなと、自分に聞く

体の感覚を実況中継する。1そこで止まる、2体に耳をすませる、3感じたままを実況中継、4出てきたら、自分に聞く。すぐ気づくことも、数日経って腑に落ちることもある。

実況中継していると、「あぁ、虚しいんだなぁ」とか、ほかの言葉がちょっと出てきたりするんです。

私の場合は、すぐに「ああ、そういうことか」って、自分の中で気づきが起こることもあるし、数日経ってから「あ、そうか」と腑に落ちることもあります。

もし今、満たされない気持ちのままこの記事を読んでいるなら。
その気持ちのまま、体のどこにモヤモヤがあるかなって、実況中継してみてくださいね。
答えがすぐに出なくても、大丈夫です。

よくある質問

Q. 恵まれているのに満たされないのは、贅沢ですか?

贅沢ではないんです。
物があることと、心が満ちていることは、同じではないから。
人によって、満たしたい欲求も、その強さも違うので、恵まれて見えても満たされないことはあります。

Q. 満たされない気持ちは、誰かに埋めてもらえますか?

私の場合は、埋めてもらえませんでした。
結婚しても、再婚しても、不足や不満は生まれました。
誰かに埋めてもらうものではないと分かってからは、自分の体の感覚に耳をすませて、そこにあるものを実況中継するようにしています。

まとめ

  • 恵まれていても満たされないのは、おかしなことではない
  • 物や環境で満たされていると、心が満たされている部分が見えにくくなる(海の中の魚)
  • 心が満たされないのは、自分の欲求が満たされていないこと。満たしたい器も、器の大きさも人それぞれ
  • 満たされない気持ちは、誰かに埋めてもらうものではない
  • 満たされない気持ちが来たら、すぐに答えを探さず、体の感覚を実況中継する

恵まれているのに満たされないのは、あなたがわがままだからではないんです。
あなたの器は、あなたのもの。
だから、もう責めなくていいんです。

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