「幸せにならなきゃ」と思うほど、なぜか苦しくなる――。
頑張っても満たされないし、ちょっとした不安や焦りが消えない。
でも、それって本当に「幸せのための努力」なのかな?
今回は、メグとミカの対話を通じて、幸せを追いかけなくなったときに何が起こるのか、そして「じゃあ、どう生きればいいのか?」について深掘りして見ようと思います😊
「幸せにならなくてもいい」という考え方を受け入れたとき、本当の楽しみがどこから生まれるのか、見つかる嬉しいよね~♪

care Dialectica (ディアレクティカ)
「ねえミカ、前に言ってた『幸せを追い求めなくてもいい』って話、ちょっと気になっててさ。」
(ミカ)
「おっ、いいね。どんなことが気になったの?」
(メグ)
「幸せを求めなくなったら… 何を楽しみに生きればいいの?」
(ミカ)
「ふむ。楽しみって、そもそもどういうものだと思う?」
(メグ)
「うーん…ワクワクしたり、充実感があったり…?」
(ミカ)
「うんうん。でも、それって何かを達成したり、手に入れたりしたときにだけ感じるもの?」

(メグ)そうじゃないけど…例えば、好きな事をしてるときとか?
(ミカ)
「そうそう。それってさ、『幸せを目指してる』っていうより、ただ『自分が生きてる』って感じじゃない?」
(メグ)
「あ… そうかも。」
(ミカ)
「結局さ、『幸せにならなきゃ』っていう呪いがあると、『今の自分はまだ足りない』って思っちゃうんだよね。
でも、その呪いを手放すと、『今の自分のままでいい』って思えるようになる。」
(メグ)
「でもさ、それって、何かを頑張る気力もなくなるってことじゃない?」
(ミカ)
「いや、それが逆なんだよ。
『幸せにならなきゃ』って思ってると、ゴールが遠すぎて疲れるでしょ?
でも、『別に幸せにならなくてもいいや』って思ったら、今やりたいことに素直になれる。」
(メグ)
「…それはちょっと分かるかも。『これやれば幸せになれるかも』って期待しすぎると、逆にプレッシャーになるもんね。」
(ミカ)
「そう。それより、『今やりたいことをやる』ほうが、よっぽど楽しみにつながるよ。」
(メグ)
「でも、何を基準に生きればいいの?」

(ミカ)「それは…『自分』だよ。」
(メグ)
「……。」
(ミカ)
「今までずっと、『幸せになるため』っていう基準で動いてたでしょ? でも、それって結局、他人から刷り込まれた基準だったりするんだよね。」
(メグ)
「確かに… 親が言ったこと、先生が言ったこと、社会が求めること… そういうのをずっと追いかけてたかも。」
(ミカ)
「うん。でも、もうそれ、やめていいんだよ。」
(メグ)
「…やめたら、何が残るの?」
(ミカ)
「『自分』が残る。」

(メグ)「……。」
(ミカ)
「今までは、幸せになるために頑張ってたかもしれない。
でも、これからは、『今の自分がどうしたいか』を基準にして生きる。
それだけで、自然と楽しみは見つかるんだよ。」
(メグ)
「…なんか、すごくシンプルな話だね。」
(ミカ)
「うん。結局、『幸せにならなきゃ』っていう幻想を手放したら、ただ、自分の人生を生きるだけになる。」
(メグ)
「そっか…。じゃあ、私は何をしたいんだろう?」
(ミカ)
「それを見つけるのが、これからの楽しみじゃない?」

(メグ)「……! なんか、ちょっとワクワクしてきたかも!」
(ミカ)
「でしょ? ほら、もう楽しみが始まってるじゃん。」
(メグ)
「…ほんとだ!」
(メグ)
「…でもさ、いざ『自分の基準で生きる』って決めたのに、急にいろんな考えが浮かんでくるんだよね。」
(ミカ)
「どんな考え?」
(メグ)
「『あんなこと言われたらどうしよう』とか、『誰も理解しないかも』とか… なんか、自分が勝手に他人の批評を想像して、苦しくなってくる。」
(ミカ)
「うん、それ、すごく自然なことだよ。」
(メグ)
「え?」
(ミカ)
「ずっと『他人の目を気にして生きる』ことが当たり前だったんだから、急にそれをやめようとしても、すぐには切り替えられないんだよ。」
(メグ)
「……。」

(ミカ)「でもね、大事なのは、そういう自分を否定しないこと。」
(メグ)
「え、でも、そんなネガティブな思考を持ってる自分って、ダメじゃない?」
(ミカ)
「ダメじゃないよ。それが、今まであなたを守ってきた思考だから。」
(メグ)
「守ってきた…?」
(ミカ)
「うん。他人の目を気にすることで、傷つかないようにしてたんだよね。だから、それ自体は悪いことじゃない。」
(メグ)
「……。」
(ミカ)
「だから、それにバツをつけなくていい。
ただ、『あぁ、そう思うんだね』『そんな風にして生きてきたんだね』って、受け止めてあげる。」
(メグ)
「受け止める…?」

(ミカ)「そう。そして、その後に『で、私さんはどうしたい?』って、自分に聞いてみるの。」
(メグ)
「……。」
(ミカ)
「すぐに答えが出なくても大丈夫。そのうち、ある日ふと答えが降ってくるよ。」
(メグ)
「……なんか、ちょっと安心した。」
(ミカ)
「うん。焦らなくていいよ。」
「幸せにならなくてもいい」と決めたら、逆に楽しみが増える
さぁ、今日のお話でピンとくる部分があったでしょうか?
何か気づきのヒントになると嬉しいのですが😊
メグとミカの対話の中で、メグは「幸せを求めなくなったら、何を楽しみに生きればいいの?」と問いかけてますね。
これは多くの人が抱く疑問かも?
でも、ミカが言うように、「幸せを目指して生きること」と「人生を楽しむこと」は、必ずしも同じじゃないんですよね。
むしろ、「幸せにならなきゃ」って思うほど、人生の楽しみはどんどん見えなくなってしまう・・・。
なぜなら、「幸せにならなきゃ」と思うと、
「まだ足りない」「もっと良くしなきゃ」という前提が生まれるから。
その前提がある限り、どれだけ努力しても「もっと幸せにならなきゃ」と終わりのないレースを無意識にしてしまうんだよね。
でも、「別に幸せじゃなくてもいい」と思った瞬間、心がふっと軽くなる。
すると、これまでプレッシャーにかき消されていた 「今、この瞬間の楽しみ」 が見えてくる!そんな風に感じるんだ。
「幸せを目指すほど、不安と焦りが増える」という矛盾
メグが「幸せにならなきゃ」と思い込んでいたのは、社会や周囲の影響が大きかったんだよね。
「幸せ=ゴール」っていつの間にか信じちゃったもんだから、常に「今はまだ足りない」と感じてしまう。
でも、ミカの言葉でわかるように、「幸せ」を目的にするほど、実は不安や焦りが生まれやすい。
なぜなら、「幸せになること」が目標になってしまうと、
それを達成するまでは「自分はまだ幸せじゃない」という前提を生きることになるから。
例えば、SNSで誰かの成功を見たとき、
「いいなぁ、私はまだここまでいけてない…」と感じたり
絶望の淵に立たされたとき
「もう、私にはこれしか選べない…」と思うのに、「でも、こんな私は誹謗中傷を浴びるかも…。これは選んじゃダメだ」と感じたり。
「幸せにならなきゃ」という前提があると、そうやって不幸探しが上手になっていくようです。
それが積み重ねで無意識に、「自分はまだまだダメだ」「もっと頑張らなきゃ」って思い、自分を責め続けるって罠にはまってくんだよね。
でも、「幸せにならなくてもいい」と思えたら?
途端に 「今の自分でも十分生きていける」 という安心感が生まれちゃいます。
その安心感の中にくつろいでみると、ふと 「私って本当は何をしたいんだろう?」 という問いが出てくるようになるんだよね~。
「自分の基準」で生きると、人生は勝手に楽しくなる
しかしメグは「でも、何を基準に生きればいいの?」と疑問をもっちゃいました。
それに対して、ミカの答えはシンプル。
「それは…自分」
私たちは長い間、「幸せの基準」を他人や社会に預けて生きてきました。
「いい大学に行けば幸せ」「結婚すれば幸せ」「成功すれば幸せ」… どれも外側の基準ですよね。
でも、幸せの基準を 「自分がどうしたいか」 に切り替えると、人生の見え方がガラッと変わり始めます。
とはいえ、すぐにそれができるわけじゃない。
メグのように、「あんなことを言われたら、きっとこう思われる」「誰も理解しないかも」と不安が湧いてくることが大半。
でも、そのとき大事なのは 「そんな自分を否定しないこと」 です。
「私、今こんなこと考えてるんだね」
「そうやって人の目を気にして生きてきたんだね」
ただ、そうやって 受け止めるだけでいい。
「こんなこと考えちゃダメ!」と無理に打ち消す必要は全くない!
そのあとで、自分にこう問いかけてみる。
「で、私さんはどうしたい?」
答えは、すぐに出ないかもしれません。
でも、大丈夫。
ある日、ふと降ってくるから。
【まとめ】
「幸せにならなきゃ」と思うほど、人生は苦しくなる。
でも、「幸せにならなくてもいい」と決めた瞬間、心が自由になり、自然と楽しみが増えていく。不思議だよね~
不安が湧いてきたら、「あぁ、私ってこういう風に考えるんだな」と受け止めてみる。
そのあとで、「で、私はどうしたい?」と問いかける。
すぐに答えが出なくても大丈夫。
焦らなくても、ちゃんと 「自分が進みたい方向」 は、ある日ふと見えてくる。
「幸せにならなきゃ」という呪いを手放して、もっと 「今の自分」 を大切に今日何ができるかを考えてね。